HTVSとは?AI創薬における実用的スクリーニング技術
HTVSとは?AI創薬における実用的スクリーニング技術
1. 創薬研究が直面する課題と、求められる次世代アプローチ
創薬研究は現代医療の発展に不可欠な分野ですが、そのプロセスは非常に複雑かつ多大なコストと時間を要します。新薬の開発には平均して12年、約26億ドルもの費用がかかるとされており、膨大な数の候補化合物の中から実際に臨床試験に進むものはごくわずかです。さらに、薬剤の有効性や安全性を見極めるためには、膨大な実験データや臨床データの解析が必要となり、従来の手法では限界が指摘されてきました[1]。
近年、個別化医療や精密医療の進展により、患者ごとに最適化された治療薬の開発が求められるようになっています。従来の「one size fits all」型の創薬アプローチでは、疾患の多様性や個人差に十分対応できず、より柔軟かつ実用的な創薬戦略が必要とされています。こうした背景から、AI(人工知能)や機械学習を活用した新しい創薬手法が注目を集めています。AIは膨大な生物学的データや化合物データを解析し、従来では見落とされがちだった有望な候補分子の発見や、薬剤の副作用予測、標的分子の同定など、創薬プロセス全体の効率化と高精度化に寄与しています[1]。
このように、創薬研究は従来の実験中心のアプローチから、AIを活用したデータ駆動型の次世代アプローチへと大きく転換しつつあります。今後は、AI技術と実験技術を組み合わせたハイブリッドな創薬戦略が、より短期間かつ低コストで高品質な新薬開発を実現する鍵となるでしょう。
2. HTVSとは何か──創薬スクリーニングを革新する仮想技術
HTVS(High Throughput Virtual Screening、高速仮想スクリーニング)は、創薬プロセスにおいて膨大な化合物ライブラリから有望な候補分子を効率的に選別するための計算機技術です。従来のHTS(High Throughput Screening、高速スクリーニング)は、実験室で自動化されたロボットを用いて数十万〜数百万の化合物を物理的にスクリーニングする手法ですが、HTVSはこれをコンピュータ上で仮想的に行う点が大きな違いです[1]。
HTVSの基本的な仕組みは、分子ドッキングや分子動力学シミュレーションなどの計算手法を用いて、標的タンパク質と化合物の結合親和性や相互作用を予測し、スコアリングによって有望な化合物をランキングします。これにより、実験的なHTSに比べて大幅なコスト削減と時間短縮が可能となり、より多様な化合物空間を探索できるという利点があります。また、HTVSは実験的なバイアスやヒューマンエラーの影響を受けにくく、再現性の高いスクリーニングが実現できます。
近年は、AIや機械学習の導入により、HTVSの精度や効率がさらに向上しています。AIは分子の構造情報や生物活性データを学習し、従来の物理ベースの手法では捉えきれなかった複雑な相互作用や特徴を抽出できるため、より高精度なバーチャルスクリーニングが可能となっています[1][2]。
3. AIによるHTVSの高度化──様々なツールとその実用的活用法
AI技術の進展により、HTVSの実用性は飛躍的に高まっています。ここでは、代表的なHTVSツールとその特徴、AI活用例について紹介します。
- PyRMD
「PyRMD」は、2021年にリリースされた完全自動化AI駆動のリガンドベース仮想スクリーニング(LBVS)ツールです。ランダム行列判別(RMD)アルゴリズムを実装し、ChEMBLリポジトリから直接ダウンロードされた標的生物活性データを使用して自動的にトレーニングできます。利用可能なトレーニング化合物を自動的に活性と非活性のセットに分割して、化合物の活性・非活性を担う特有の化学的特徴を学習します[3]。
PyRMDには「ベンチマーク」と「スクリーニング」の2つのモードがあります。ベンチマークモードでは、ROC AUC、BEDROC、F-score、PRC AUCなどの包括的な評価指標を用いて、特定の標的に対するアルゴリズムの性能を検証できます。これにより、モデルの予測精度や信頼性を詳細に分析し、スクリーニング戦略の最適化に必要な情報を得ることができます[4]。
一方、スクリーニングモードでは、ベンチマークモードで最適化されたモデルを用いて、ユーザーが指定したデータベースから新たな活性化合物を効率的に特定し、有望な候補化合物をランキング形式で提示します。
さらに、PyRMDを発展させた「PyRMD2Dock」プロトコルも開発されており、PyRMDと任意のドッキングソフトウェアを組み合わせることで、限られた計算リソースで現実的な時間内に数十億のリガンドをスクリーニングすることが可能です。このプロトコルにより、大規模な化合物ライブラリのスクリーニングが大幅に効率化され、新規薬物候補の発見が加速されています[5]。
PyRMD2Dockのワークフローは、まず大規模データベースから100万化合物をランダムに選択してドッキングソフトウェア(AUTODOCK-GPUなど)でドッキング計算を実行し、各化合物にドッキングスコアを付与します。次に、これらのスコアに基づいて化合物を活性・非活性に分類し、PyRMDのベンチマークモードで機械学習モデルをトレーニングします。最適な設定が決定されると、PyRMDのスクリーニングモードで残りの化合物を予測し、信頼度スコアの高い化合物を選別します。実際に、AUTODOCK-GPUをドッキングソフトウェアとして選択した検証では、約900万化合物のスクリーニングが単一プロセッサで約42時間、16プロセッサ並列処理では約3時間で完了し、従来の総当たりドッキング手法に比べて大幅な時間短縮を実現しています。このように、高い予測精度と化学空間の多様性を保ちながら有望な化合物を効率的に特定できることが実証されています[5]。
- Schrödinger Glide
「Schrödinger Glide」は、Schrödinger社が開発した商用の分子ドッキングおよびバーチャルスクリーニング用ソフトウェアです。高精度かつ高速なドッキングアルゴリズムを搭載し、数百万規模の化合物ライブラリを対象としたHTVSにも対応しています。直感的なGUIと豊富な解析機能を備え、製薬企業やアカデミアで世界的に広く利用されています。特に、精度と速度のバランスが非常に高く、論文引用数も多いことから、信頼性・実績ともにトップクラスのHTVSツールです。実験的なHTSの前段階で有望な候補化合物を絞り込む用途や、リード化合物の最適化など、実践的な創薬現場で多用されています[6]。
さらに、Schrödinger社はAI技術を積極的に取り入れた「Active Learning Glide」を開発し、従来のGlideの性能を大幅に向上させています。Active Learning Glideは、Glideドッキングスコアなどの物理ベースデータを反復的にサンプリングして機械学習モデルをトレーニングし、スクリーニング精度を向上させる革新的なアプローチです。この技術により、初期のドッキング結果から学習した情報を活用して、後続の化合物の評価精度を段階的に高めることが可能となります[7]。
この技術により、数十億規模の化合物ライブラリを従来手法のわずか0.1%のコストでスクリーニングできます。最先端の機械学習モデルによってGlideドッキングを増強し、従来の総当たり的手法で見つかるトップスコア化合物の約70%を回収することが可能です。特に、大規模な化合物ライブラリをスクリーニングする際に、計算資源を効率的に配分し、より有望な化合物領域に焦点を当てた探索が実現できます[7]。
これらのツールは、単独でも強力ですが、実際の創薬現場では複数のツールやAIモデルを組み合わせて使うことで、より多角的かつ高精度なスクリーニングが実現されています。AIによるHTVSは、従来の物理ベース手法と比べて、膨大なデータを活用した柔軟な分子設計や、未知の化合物空間の探索に強みを発揮します。
4. 日本におけるAI創薬の実装例──中外製薬の取り組みにみる先進性
日本でもAI創薬の実装が急速に進んでいます。中外製薬は、AIを活用した創薬プロセスの効率化と高精度化に積極的に取り組んでいる企業の一つです。同社は、創薬プロセスの革新を目指し、疾患ターゲット探索や医薬品分子デザインへのAI活用による創薬プロセスの大幅な短縮・成功確率向上を図っています。また、AIを活用したリアルワールドデータ・デジタルバイオマーカー解析による臨床開発プロセスの革新や、早期臨床データを基にした高精度な予測によるPoC判断の早期化にも取り組んでいます[8]。
中外製薬は外部のAIベンチャーや大学との連携も積極的に進めており、最新のAIアルゴリズムやデータ解析技術をいち早く創薬現場に取り入れています。こうした取り組みは、今後の日本におけるAI創薬の発展に大きな影響を与えると考えられます。
参考文献
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Singh, S. et al., “Advances in Artificial Intelligence (AI)-assisted approaches in drug screening”, Artificial Intelligence Chemistry 2(2024):100039. https://doi.org/10.1016/j.aichem.2023.100039
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Oxford Global, 「AI-driven High Throughput Screening for Targeted Drug Discovery」, 2024, Accessed:2025-10-01. https://oxfordglobal.com/discovery-development/resources/ai-driven-high-throughput-screening-for-targeted-drug-discovery
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Cosconati Lab, 「PyRMD: AI-powered Virtual Screening」, 2021, Accessed:2025-10-01. https://github.com/cosconatilab/PyRMD
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Amendola, G. et al., “PyRMD: A New Fully Automated AI-Powered Ligand-Based Virtual Screening Tool”, Journal of Chemical Information and Modeling 61(2021):3835-3845. https://doi.org/10.1021/acs.jcim.1c00653
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Roggia, M. et al., “Streamlining Large Chemical Library Docking with Artificial Intelligence: the PyRMD2Dock Approach”, Journal of Chemical Information and Modeling 64(2024):2143-2149. https://doi.org/10.1021/acs.jcim.3c00647
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Schrödinger, 「Glide | Schrödinger」, Accessed:2025-10-01. https://www.schrodinger.com/platform/products/glide/
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Schrödinger, 「Active Learning Applications」, Accessed:2025-10-01. https://www.schrodinger.com/platform/products/active-learning-applications/
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中外製薬, 「AI-leveraging drug discovery」, Accessed:2025-10-01. https://www.chugai-pharm.co.jp/english/innovation/digital/ai_technology.html
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